心裡ゲームの公式

 

 交流分析では、さまざまな反復的な交流のなかで、次の公式にあてはまるものをゲームと呼びます。




 
 まず、仕掛人は隠れた動機を持って、ゲームにひっかかってくる相手を捜し求めます。

 その結果、弱点を持つ相手がわなにかかって反応を示すと、ゲームが進行しはじめるのです。

 しばらく時間が経過すると、次に交流の過程に何らかの転換が生じます。
これは、通常、行き違い、対立といった交流の交叉の形であらわれ、両者の関係に混乱をもたらします。

 最後にゲームは、思いがけない結末をもって幕を閉じます。この時点で、客観的には仕掛人の動機は明白になり、その正体が暴露されるのですが、多くの場合、当事者たちは、不快な感情を味わうだけで、その意味に気づかないままで終わります。

 たとえば、家庭内暴力によくみられる「はい、でも」(水かけ論)のゲームでは、青年はまず親に対して質問したり、問題を提起したりします。

 親はこの誘いにひっかかって、こまかな説明を与えたり、「・・・したらどうか」といった類の解決法を示したりします。すると青年は「はい、でも・・・」と反論しながら、相手の意見や提案をことごとく退けたあと、自分はその程度のことはしっているなどと、親を軽蔑します。この種のやりとりが長々と続きます。

 多くの場合、親はついに当惑し、沈黙します。時には、いらいらが昂じて、わが子に思わぬ雑言を浴びせてしまいます。

 しかし、これが青年の思うつぼなのです。青年はその時点で勝利を収めることになります。彼は、親のCを欲求不満に陥れたり、失言を取り消して謝罪させるなど、本来の目的を達成するのです。

 この種のゲームを演じる青年は、裏面で「私はどんなことがあっても、自分の考えを曲げない」、あるいは「私を変えようと思うなら、やってみるがよい。絶対に親のいうとおりにはならないから」といった態度で、自分の立場を守ろうとします。

 こういう人は、幼少時からすべてに答えを与えようとした干渉的な親に、互いの交流をこじらせ、混乱させるという形で反抗しているのです。



 ゲームの処理の方法としては、

 (1)非生産的な交流に多くの時間を費やさない、
 (2)結末でくりかえし味わう不快感に気づき、それに長く浸らない

など、反応態度を変える必要があります。






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